8.アキダワナ教会
アキダワナに着いてI氏に会うと無事に保護されました。そしてパスポートをなくした話をすると「メンバーが盗んで売るつもりだよ」とI氏は言います。
そしてそこから私はI氏を頼ることにしました。まずはパスポート再発行の手順を指導され日本領事館のあるサンパウロに行きました。その時の滞在先はワールードカープという学生メンバのー施設です。数日滞在させてもらいました。そして活動もしないといけないので、そこのメンバー達とも一緒にボールペン売りの活動もしました。
そのころ文鮮明は世界の各地で大会をしていて、ブラジルの隣国のボリビアでも大会があり、I氏の指示で私はボリビアに向かいました。
私は文鮮明の警備という責任分担が与えられました。ボリビアの兄弟姉妹と過ごしたのですが、すごく素直なので親しみを感じていました。
文鮮明が宿泊するホテルで警備もするのだけど、何度も何度も料理が運ばれており、皆、競うようにメシアに侍る(仕える)んだなと当時は思っていたのですが、今思えば信者が侍ってくれるのをいいことに美食三昧を送っているだけだと考え直しました。
大会は警備の為、参加出来なかったのですが、次の朝5時からの訓読会には参加出来ました。そこで初めて文鮮明を真近に見て握手もしました。訓読会の途中でお母様(文鮮明の妻)は部屋を抜け出ました。部屋に帰って寝てたんじゃないかと後で考え直しました。
ボリビアでの大会が終わると私は日本に帰るためにサンパウロに行きます。
そして私がブラジルを出る前にI氏と交流のあったワールドカープの責任者が私に一人の女性メンバーを紹介しました。もう祝福は自然消滅したと思っていたので、別の祝福の相対者としてどうかと見合わせてくれました。その当時はお見合いの祝福は許されていました。
まあ教育もされていない女性に比べたら理解しやすいし、今後はこの女性と祝福を進めていくのかと思いながらブラジルを脱出しました。
後から思ったのですが、文鮮明がマッチングしない時代になってきたとはいえ、身近なメンバー達がマッチングされていきます。祝福の相対者は世界中で最もあなたにふさわしい人が与えられると聞いていたのですが、案外近場で適当に決められてるんじゃないかとも思ってきました。
I氏は日本に帰ったら、まず清平の40日修練会、そのあと野の花会のマイクロに行くよう指示をしました。そして私はそのミッションをこなし2007年にはアキダウワナに戻りそこで献身生活をすることになりました。
ある日、I氏は私と日本に帰る前に会った別の女性を見ることになります。するとI氏はあんな女性は私にはふさわしくないと言って、無かったことにしてしまいました。
アキダワナでの活動といえば午前中はボールペン売り、午後からは伝道や勉強、メンバーそれぞれの活動になります。
I氏はワールドカープを盛り上げたくて大学生をたくさん作りたいと言っていました。
教会には数人の男女の学生が入居して活動をしていました。
私もそこに交じってリーダーなどもしました。
私がアキダワナで生活している間でも、S氏とI氏の間ではやり取りをしていたと思います。
でも教会から逃げた相対者とは破棄の手続きはしていないももの終わったと思っていました。
それでもS氏は私にカンポグランデに来て話し合いをさせようとします。
彼女の家に行き、彼女の親戚もいるなか、I氏とI氏の奥さんも話し合い加わりました。I氏の奥さんも彼女が気に入らない感じでいました。教会での祝福結婚を願うのであれば条件を呑まなければいけないと説明するのですが、相対者も折れません。
私は自分から祝福を破棄に出来ません。I氏から私の願う道を整えてほしいと思っていました。
話の決着はつかず、私はアキダワナに戻り献身生活をします。
そして経済活動の遠征に行きます。遠征とはバスで他の地域にいきます。よく行ったのはマットグロッソ州のクイアバ市になります。そのほか、パラナ州のクリチバ市、ミナスジェライス州のベロオリゾンテ市など、いろいろな都市に遠征は行きました。
私はブラジル滞在中にビザの期限が迫るのですが、そのたびに旅をさせられていました。まずパラグアイに行かされます。そこで30日のパラグアイでのビザが認められるのですが、私はまたブラジルで過ごすことになります。
ブラジルとパラグアイには国境のない地域があり、自由に行き来が出来る場所があるのです。そこを通って来ました。
30日が過ぎようとする頃、またブラジルとパラグアイの国境の地域に戻ります、ところが日数がすぎてしまったのです。
そのことに関してはI氏は罰金を払えば大丈夫だからと安心を持たせました。私がパラグアイに入ったときビザの日数が切れてるね。と指摘されドキドキしましたが、I氏の言うように過ぎた日数分の罰金を払うだけでした。
不法滞在ともなると日本人の印象では犯罪を冒すぐらいの事だと思っていたのですが、大陸間の国では感覚の違いを感じました。
そこはブラジル、アルゼンチン、パラグアイの3カ国が隣接する地域でした。
その後、私は在アルゼンチンのブラジル領事館にビザを取得しにいきました。
私の他にもバックパッカーぽい女性もブラジルビザの取得にきていて、「30日のビザしかくれないのー」と不満を漏らしていました。
とにかく、すでに現地に来ていたら最低でも30日のビザをもらえるんだと知りました。私は再度ビザを取得してブラジルに戻りました。
そうこうしているうちにブラジルで先祖解怨式が開かれると聞きます。
私たちメンバーはもちろん先祖解怨式に参加するのですが、そこでI氏は相対者に参加するように言います。もしここで来ないのだったら祝福は破棄にすると言ってくれていました。
私は彼女は来るのを嫌がるだろうから決定的に終わったと思っていたのですが、なんと来たのです。彼女との関係は首の皮が一枚つながった感じです。
相対者には他のメンバーを通して自分の信仰の無さに気づいてほしいといつも思っていました。彼女のように人を尊敬しない女性は嫌で仕方が無かったのです。