7.3回目のブラジル

青年の支部で数年働いたと言っても給料などありません。私は3回目のブラジルにいく為に1か月ちょっと引越し屋のバイトで旅費を作りました。

 3回目のブラジルに行く時には父親も空港まで見送ってくれました。本当は良くは思っていなかったでしょうが、私には反対しても無駄だろうとあきらめていました。

 そして、3回目の時は相対者は国際空港のあるサンパウロまで出迎えに来ていました。

本来は日本に連れていく計画を立てるつもりだったのですが、会ってすぐにケンカをしました。

 そして二人だけでは到底一緒にいれないと思ったので、サンパウロからカンポグランデに行くことにしました。そしてS氏に指導を委ねました。

 私は相対者が信仰の訓練も受けていないのが気に入らなく、カンポグランデの教会で信仰の訓練を受けさせたいと願っていました。

 そしてS氏と話をして献身生活という方向で決まり、彼女には入居させるようにしました。そして何をするかといえば経済活動と伝道です。

 最初はボールペンの売り子となって町の人に売りに行きました。

私は日本でも訓練を受けていたので、必要最低限の言葉だけを言えるようになれば大丈夫だと思いポルトガル語の販売トークを暗記して次々と町の人に声をかけていきました。

そして民家にも一軒一軒訪問して回るのですが、否定に否定が続いていました。

そうして夕方、終わる時間の間際で、買ってくれる人と出会い、そこから連続して売れるようになっていきました。

 献身メンバーは2、30人いたのだけど、3日目には自分が一番実績が出ていました。そう考えたときに、日本での訓練は厳しいのだと感じました。

 私はこうして献身生活を続けていたのですが、ある日、相対者のわがままを受け入れずにいたら相対者は家に逃げて帰ってしまいました。

祝福でもなければ一発で縁が切れる行為です。逃げてしまう相対者に驚きがありましたが、S氏にしてみれば私が愛していかなければならないと言うだけです。

S氏が教育してこなかったのにひどい押し付けを感じていました。まあ私の方が受け止める力があると思ったからだと思います。

相対者が家に帰って、S氏には彼女を追いかけて恨みを解いてこいとでも言われるのかと思ったのですが、私の経済活動の実績の良さを見て「メンバーを教育すればより良い条件になる」と言ってメンバー一人一人に指導するという責任を与えてきました。これまた利用したいだけじゃないかと思っていました。

S氏に対してはこれは大嘘だろうと思うエピソードに、

カンポグランデ教会は毎夜、皆で祈祷会をするのですが、たまに韓国の清平という地で行っている悔い改めの祈祷をさせます。

そしてS氏の奥さんが数人のメンバを力の限り叩きつけます。清平では体を叩く事で悪霊を出すという役事があります。

清平でもあるまいし、役事をしているようなふるまいですが、叩かれたメンバーは非常に痛かったと思います。泣いているのは悔い改めではなくて痛いから泣いてるんじゃないかとも思いました。

清平でしか役事は出来ないと言われていたのに勝手に役事まがいの事をしていました。

もう一つは、他界した元メンバーの霊会からの手紙が届いたと言って、霊会の様子を語った内容の手紙を読み上げます。「霊会では大母様(文鮮明の義理の母)もいるし、霊会での事実がわかって私は教会を離れたことを後悔している」という内容です。これもまたS氏がメンバーを脅すために作ったように感じました。 

ある日私はS氏と車で他の市の教会に連れていかれたことがあります。そこはアキダワナ市といいます、とにかく私はS氏には追い込まれるだけなので、他の日本人も知っておきたかったので良い機会でした。アキダワナの教会長はI氏といい、S氏とは違って少し許しのわかる宣教師でした。日本人の私を貴重に思ってくれ、優しくしてくれたのでいい印象を持ちました。

 私はまたカンポグランデで経済活動、伝道をしていきますが、ある日パスポートがないことに気が付いて命の危険を感じました。「献身者といえども人の物をくすねる癖があるから気を付けてね」とS氏に言われていたので、たまらなくなりました。

 教会生活でこんなにも追い込まれたことは無かったです。

こんなとこにいたら廃人にさせられると思ってアキダワナ行きのバスに乗ってアキダワナ教会を目指しました。責任者を通さずにこんな行動をしたのは初めてです。誰も知らない地でこんな目にあわされてプッツン切れてしまいました。