9.家庭出発
彼女はカンポグランデに住んでいたのですが、家庭を持ちたいのならばアキダワナに住まなければならないと言って、迎えにいきました。
バスを利用したのですがカンポグランデからアキダワナに着く寸前に私が愛しきれずに彼女を怒らせてしまいます。本当に苦痛が絶えなかったです。
彼女はアキダワナについてすぐに家庭を持ちたかっただろうけど、しばらくは訓練のために教会で寝泊まりします。
掃除の手際が良いのにはI氏を感心させていました。ですがI氏に対しても不機嫌なのは変わりません。
私の思いとは裏腹に相対者は家庭を出発するために家を探そうとします。私はもっと訓練されてほしいと願っていたのですが、I氏は彼女の気持ちがわかって私にも家庭出発する準備をさせました。
しばらくして貸家も見つかり、家庭出発することになりました。
結局、葛藤しながらも彼女と家庭出発をすることになってしまいました。
そしてI氏は私に大学を進めました。衛星放送で授業を進めるような大学があり、私も受験勉強をして入試に望めば受かっていたのです。
ビザの問題はある日カンポグランデに行き、永住ビザの申請をして、後に取得することになります。もともと書類上では婚姻届けをしていたので彼女と家庭を出発することになったので進めていくことにしました。
でもその時、安定した収入などありません。全然学費のことなどI氏も心配してませんでした。
私は勤めているわけでもないし、生活費はボールペン売りをして捻出するしかなかったのです。その当時の私は地に足が付いていなかったのでそんなには心配することもなく神が養ってくださるみたいに考えていました。
たまにボールペン売りの遠征にはいくようになっていました。
やはりクイアバ市にはよく行きました。
宿泊費を収めることで寝泊まりさせてもらい、ボールペン売りを続けました。日曜にはその教会で礼拝を受けていました。
家庭を出発して数か月後、教会長たちは人事異動になっていきます。
S氏はカンポグランデからサンパウロへI氏はアキダワナからカンポグランデへ人事異動になりました。
そうなると私達もカンポグランデに住むことにしようとなりました。
カンポグランデに移り住む前にI氏が物売りの指導をアメリカの2世にしてくれと言ってきました。I氏はブラジルの2世の責任者とつながりがあって、物売りの指導には私を推薦してたのでした。
私はアメリカに一ヵ月行くことになりました。アメリカではメタルピクチャを売り歩きました。そして一か月ミッションをこなしました。 報酬はないですが、ノートパソコンをプレゼントされました。
そしてなんと、アメリカに行ってる最中、嫁が妊娠してるというニュース が入ってきてました。その時はすごく 嬉しかったのを覚えています。