6.ブラジルへ

祝福の相対者がブラジル人になり、私は韓国で祝福式を受けたのですが、相対者はブラジルの衛星中継で祝福式に参加していました。

私は献身者だったため勝手に動くことができません。

初めてブラジルへ行けたのは修練会に参加するという名目で許されました。

その修練会というのはジャルデンという市内で行われている家庭持ちの為の修練会になります。私は家庭は持っていなかったですが参加は出来ました。

私はジャルデンに向かう前、カンポグランデという州都を経由しました。そこで相対者に会う予定でした。まずカンポグランデで出迎えたのは相対者を伝道したカンポグランデ市の教会長S氏でした。彼は統一神学校を卒業し、宣教師としてブラジルに来ていました。後にブラジルの会長までになります。 

S氏は私と会ってある程度の訓練を受けていることを確認すると、相対者の事情を話してきました。

「たとえ愛しにくい人であろうと祝福を守らないといけない」と言います。私が祝福を2回壊したということも聞きその弱みを握ろうともします。

私も今度祝福を壊してしまったら、もっと重い罪を背負わなければならない。自分が出来なかったとしても後孫が引き継いでいかなければならないと思い込んでいるので、進撃に聞こうとします。

 教会長は「彼女は母子家庭で父親の愛に飢えている。あなたが愛で彼女の恨みを解いていかなければならない」と言い聞かせようとしてきました。 

相対者に会う前にこんな話をされるので一気に不安になります。

 そしていよいよ相対者に会うのですが、その時の印象は地獄の餓鬼にでも出会ったかのような印象でした。自分の清算しなければならない罪はこんなにも重たいものなのかと感じさせられました。 

私はジャルデンの修練会に行かなければなりませんが、ジャルデンに向かう前に教会長は相対者と3人でカフェなどでデートをさせます。その時、彼女は教会の不平不満ばかりを言っていたので醜くしか映りませんでした。

相対者は教義に感銘を受けているのではなくて、「カナダに留学が出来るよーとか、日本人と結婚できるよー」みたいな餌でつるような伝道のされかたで、教義を学びみ旨を成していく気持ちなどは持っていませんでした。

 その後、私は彼女と別れて一人ジャルデンに向かいます。そこからジャルデンの43日の修練会生活が始まるのですが、ブラジルに着いた早々、前途多難な道のりを感じました。

修練会の主な内容は文鮮明の説教集などを読み続ける訓読の期間、そして奉仕活動期間というものでした。

 修練会ではいろいろなイベントがあったのですが、ある日、日本で会長も勤めたことのあるO元会長が来ました。

O元会長は自分でもポルトガル語を学びながら講義をしたり、写真が趣味とか言っては自分で撮ったブラジルの写真集を製本して販売したり、かなり自由なことが出来るんだなと思っていました。

そして後日、S氏もカンポグランデの青年たちを数人引き連れてジャルデンに修練を受けに来ました。数日間でしたがそこには相対者もいて、少し一緒にすごすことになりました。私は彼女が信仰の道に興味がないので楽しく過ごせません。やはり機嫌を損ねてしまうだけです。

S氏からはあなたが愛で受け止めなければならないと言われるだけでした。

そしてなんとS氏は修練会のプランである残りの奉仕活動をカンポグランデにきて相対者に尽くすことを奉仕活動としなさいと命じてきました。修練会の責任者とは話を通しておくからと言って認可を取り付けておりました。それとビザが切れたら延長も考えましょうねとも言われていて、心の底から人質になったような気分でいました。

O元会長はS氏に対して、「彼は実績が欲しいだけだら、あなたにブラジル旅行を延長させなさいと言っているだけだ、期間が過ぎたなら日本に帰りなさい。」とも言われた。

O元会長からはS氏の根性がわかったのでしょうね。S氏はポーカーフェイスなので胡麻化すのはうまいと思います。きれいな話を作ってはメンバーを動かすのは得意のように見えました。

そして私はカンポグランデ教会で寝泊まりしながら毎日、相対者の家に訪問してご機嫌を取るという気味の悪い日々を送らされていました。

そして修練会の閉会式にはジャルデンへ帰り、またカンポグランデで過ごし、明日には日本に帰ろうかという時に腹痛を起こしてしまいます。医者に見てもらうのですが、昨日彼女の家で食べたトマトに当たったと言います。特に私はブラジルでの免疫がないのでそうなったと言われました。ブラジルでは何度か極度の不安に陥らされて正常さを保てない時間がおとずれていました。

急遽、帰りの予定変更の手配はS氏がしたのだけど、日本では帰国予定日に帰ってこないので父親は青年の支部に乗り込んでいました。遠い地で何が起こるかもわからないのにすごく心配したと思います。

そして次の年にも祝福を壊さない為に私はブラジルに行ったのだけど当時の青年の支部長は2日ぐらいしか許してくれませんでした。ブラジルに行くのに2日ほどとはかなり厳しかったけど、私を働かせないでいるのはもったいないとでも思ったのだと思います。

S氏は私たち祝福を進めていくのかも決めあぐねているうちからビザの為だからと婚姻届けをさせました。

支部でも私はブラジルにいかないといけないと訴えていたので、徐々に献身メンバーから勤労青年へと移っていきました。