1.はじめに

大物政治家の銃撃事件をきっかけにしてマスコミはカルト教団の社会問題をクローズアップします。そのムーブメントは教団の解散を迫る勢いです。

教団の信者の視点としては宗教迫害を受けている。地上の天国実現が延長されるので防がなければならない等と思っているでしょう。

この教団をこれ以上は許すことができない!

いよいよそういう時代に来ていることも感じます。

とにかくこの教団に対して私は間違いない団体だと確信をしておりました。教団の教祖は自信がメシアであると宣言しています。そのメシアと同時代に生き、メシアに仕える事がどれだけ徳積みになるか、先祖にも後孫にもどれだけ誇らしいだろうと思いながら信仰生活を続けていました。

ですがメシアとその家族が理想とはかけ離れた奇行をし続けます。

その度に信者が不信仰をしたためにメシアの子息にサタンが入って犠牲になっている(悪行してる)と、、、悔い改めを迫られていたのですが、ごまかすにしても限度があります。

サタンが入っているせいではありません。メシアの子息には罪も堕落性もないというのは嘘だと気づいたのです。

メシアの家族内で相続争いをしていたのか、ブラジルに子息達が次々と入国し、教会で説教をしていくのですが、その中身のしょぼさには悲しいぐらいに馬鹿らしく思ったことがあります。

私はこのメシアの家庭というのは末端の信者までもが実践しているような己との戦いが出来ない、ただの親の権威を嵩に着るやからにしか思えなくなりました。

私はただただ気づけないままに洗脳されていて、教団の為に働かされていただけなのです。結局のところ教団にいるということは悪行に加担するということなので決別することにしました。

私は脱会はしたのですが、しばらくは気持ちを安定させることは出来ませんでした。疑ってはサタンが入ると教わってきたので信じる事しか出来なかったのですが、その信じる事によって、私の家族を境地にさらすのであれば、私は家族にとって迷惑な存在でしかないとマイナス的な自己暗示をかけておりました。それは自分でも得策ではないとわかっていながらも自分の心のバランスを取る為には仕方がなかったのだと思います。

信者を辞め社会生活をすると言っても一般的な生活とはかけ離れた生活をしていたと自負があります。なかなか自分をさらけ出すこともできず、人とは距離を置いて過ごしていました。

脱会したはいいものの、社会に戻ると孤立するのであれば、このまま騙され続けていた方が幸せな人もいるだろなうと思います。

私も現実の自分と向き合っていかなければなりません。かなり自堕落になってしまったのは否定できませんが、、、でも良かったと思います。

いろんな自己中心的な思いが人間なら湧いてきます。それをサタンにそう思わされていると考えていたならば、休まることがないのですから、、、堕落したからこうなったのではありません。自我を持つ人間が地上で生きていく為であり、そして人生を感じていく為のデフォルトだと思っています。

教会はかなりダイナミックな思想を扱っているので割とインテリな人をも取り込む力はあると思います。神をも定義付けたり、科学で証明できるなどと謳えば説得力が増します。神がこの世界を創造した原理、人間が堕落してしまった論理、この世界を元の世界へと復帰していく原理、すべては原理原則に従っている真理であると思わせているのです。

そして教団にて、これは罪だと定めている基準はとても厳しいものがあります。相当な信仰心がないと守っていけないと思います。大衆化にはできないデメリットを感じているでしょう。

なので正体隠しの伝道方法にしているのかもしれませんが、正体隠しの伝道方法は違法性があります。 信者になった側からすると狭き門を生き残ってきたので選ばれた人間だと思ってしまいます。そして最後までつまずかず伝道された人は教団にとって従順なロボットとなります。

この教団の教育を受けたなら、この世界は現状サタンが支配していて、社会も法律も人間が作ったものなので社会のルールを破ってでも神の御心にかなうものならば善になると信じています。

神かサタンか善か悪かの二極的な思考しかできなくなる誘導がされていきます。

そして神は全能ではあるが人間が善行などの条件をたてない限り、サタンが讒訴するゆえ、何も働く事が出来ない惨めで可哀そうな存在だと教えているのです。

私は脱会後、弁護士などに被害を相談した時、「違法性として認められるのは正体隠しの勧誘はなかったか?ここぐらいです」と言われたときは悔しかったです。

私がしてきた献身的な生活も献金もすべては地上に天国を作る為にお金が必要だと教えられていたので、頑張っていたことが、「いや本人が進んでしたことなので」と判断が下されます。信教の自由があるからと、、、

私は教会が糸引く法外なビジネスなどは信者が勝手にしたと言える形が一切通じなくなることまでも願ってやみません。

私は教団にとってはお目当てではなかった信者かもしれません。国際結婚というダミーの為にブラジル人との祝福を受けたのかもしれません。そして祝福を壊さないように耐えてきました。私は教義を信じ、神にゆだねる姿勢で生きていこうと思っていました。踊らされていたのかもしれません。

そして教団内部での説教にも偽りの名目で献金集めをしていたら詐欺と認められてほしいです。

あれだけ世間で騒がれているのになぜこの教団の洗脳を解くのは難しいのだろう、などなど不思議なところもあると思います。なので私は青年部員でしたがこの教団で体験してきた一部を書いていきます。私が信者として体験してきたことが少しでもヒントになるなら嬉しい限りです。