4.ビデオセンター

私が天地正教から統一教会に移ったのは高校を卒業してからでした。高校生ではビデオセンターに通えないからです。

私はすでにビデオセンターを運営しているのは統一教会と知っていましたが、一般の信者になるためにはビデオセンターを通過した方が良かったのでしょうね。

内部では様々な段階でのトレーニングが用意されていて教育ラインと呼ばれています。今思えば教育ラインとは工場などにある生産ラインの事ですよね。システマチックに信者を作り上げていきます。

私には入会させるのにプッシュも必要なかっただろうけど普通に担当のトーカーもついて、ビデオを見ては教育されてと、ビデオセンターの教育ラインに乗っかっていました。

いつも帰る前には「次回いつ来ますか?」と約束をさせられていました。自分はいい内容なので好きな時に来たらいいのではと思っていました。一般の映画や『知ってるつもり』のビデオも見れるので、いつでもビデオを観れるとも思っていましたが、教育ラインがあるので、そういうわけにもいかなかったのでしょう。スタッフルームでは常にトーカーはゲストの状況を把握しています。そして所長に報告をしてゲストの価値観が転換されていくのを見極めてセミナーに誘導していきます。

内部のスタッフは神のため、人の救いの為と霊の命の為に責任感をもって臨みます。ゲストをこの世のサタン世界から神側へと復帰するために祈祷や条件立てをしています。

この霊の命を救うために神とサタンが注目していると緊張しながら働いているのです。

神の立場に立っているのは所長、その所長を中心としてアベルの位置はトーカー、カインの位置は紹介者、皆が一体化したら神が働けると信じて実践をしています。

 それでも私は一度、予約した日にいけなくなって次回の約束も決めなかった時があります。しばらく行かない日々が続きました。ここでずっと行かなければ離れていたかもしれません。今思うとその方がよかったですよね。

ですが運命はそうではありませんでした。ある日トーカーのお姉さんから電話があり、今度いつ来るの?と強い口調で言われたので、これまた意外に思いました。真剣に心配してくれていることを感じました。そして次回の約束を決め、心を入れ替えて通い続けました。

そして2daysセミナー、その後21日ほどのライフトレーニング、そしてメシアが誰であるのかを明かされて3daysセミナーへと参加していきました。そしてビデオセンターは卒業です。3daysセミナーに参加したメンバーは教会の入り口へと入っていきます。

3.天地正教

姉は統一教会のメンバーなのに私を天地正教に通わせるようにしたのは、私が高校生だからでした。私は天地正教に入り地域の道場に行ってみることにしました。天地正教の施設は道場と呼ばれます。

信者は年配の人が多かったのですが、青年のための部署もあり、私はそこに所属させられました。中学生や高校生、働いている人も合わせて通常5,6人ほど集まる部署でした。

 いつも土曜日の夜に青年部長のKさんを中心に集会をしていました。

そしてたまに開催されるセミナーや儀式、供養祭などに参加していました。

私が天地正教に入会してからも自分に対しての転機が来ます。学校で友達を裏切るような行為をして殴られてしまうのです。殴られた後は自分が悪かったと気づけたのですが、このままの自分の将来には不安を持ってしまいました。自分には自己中心的な要素があり、自分が変わらなければならないんだと、、、そこからクラスの中でもふさぎ込んで、自戒の言葉をメモしたりと、この事件を重く心に留めておこうとしました。

そして、その事件を青年部のKさんに話をすると、「これからしっかり勉強していこうね」という話になり、学校帰りに道場に通うことになりました。そして、信仰生活講座などのビデオを見る日々をつづけていました。

Kさんとも信頼関係が出来てきて、ある日また修練会の誘いを受けました。その修練会とは主に統一教会の中高生の信仰2世の為のものでした。

天地正教は統一教会のダミー団体なので信仰2世の教育は合同でしていました。2泊3日程の修練会に参加しました。メインは講義を通しての教育でしたが、その頃はあまり頭には入ってなかったです。それよりも登山やキャンプなどの遊びも多かったので修練会には楽しみがありました。

スタッフのお兄さん達は統一教会の献身者です。信仰の訓練を受けてるだろうし、とても立派に見えました。親身に修練生の悩みなども聞いてくれたり、とても優しかったので、統一教会の青年の活動に興味を持ちだしていました。天地正教の婦人たちとは違いエネルギッシュな青年の活動に、私も貢献したいと思うようになっていました。

夏のその修練会が良かったので、秋にも修練会を楽しみながら参加しました。

私は天地正教にいましたが、姉が教会所属なので、たまに姉の青年支部が企画する内部の復興会などにも参加したりしていました。そうして高校生活も終えていきます。

2.入会前背景

私は教会の信者として生きてきたのは17歳から34歳までになります。

私は2人の姉と兄、4人兄弟の末っ子。そして両親と祖母の7人家族の元で生まれました。

私の家族で信者になったのは2番目の姉と私になります。

幼少のころから祖母にお経を教えてもらったり、目に見えない世界やオーパーツなどにも興味を持つような人間でした。

私の家で最初に教会に入ったのは姉になります。ある日、姉が統一教会に入っていて、その施設で寝泊まりしているのを打ち明けてきました。そのころは姉も嫁に出て、兄も家を出ていました。家族の中で私だけが知っていたのです。当時は教会の悪い噂も知らなかったのでそこまでは気にはとめていませんでした。

それと同時期に私はS教団という宗教団体に入っていたところでした。

当時、私の母親が若くしてアルツハイマーになり、祖母が母親を世話をしているような家庭の状況でした。

ある日、道端で祖母が車をよけようとしてこけてケガをしてしまいました。ちょうどそこにS教団の人がいて心配して祖母に手かざしの役事をしました。

祖母はありがたく思って「私の家にもっと大変な人がいるから来てもらえませんか」と誘い家に来てもらいました。

そこで母にも手かざしの役事をし、そのS教団の人は祖母と母のために訪問を続け二人を信者にしていきました。

その様子を見ていた私にもある日声をかけてきました。そんなに否定的に見ていなかったので声をかけてきたのだと思います。

そうして、いつしか私はS教団に入会することになっていました。

ある日、S教団の紹介親にも姉が統一教会に入っていることを相談すると「あそこは危険な団体だよ」というようなことを言われるので危険を感じます。

そして私は父親と協力して姉を教会の施設から連れ戻すようにしました。

警察には電話してみるものの、話し合ってくださいとしか言われませんでした。

いろいろと騒いだ結果、姉が統一教会の施設から家に帰ってくることになりました。

これで安心したのか私の中でこれ以上姉を責め立てる意欲が消滅していました。

私は姉に、私が通うS教団の婦人の話を聞いてほしいと頼みました。すると姉のほうの話も聞くという交換条件で私は承諾しました。

そして、実際にS教団の婦人の話を姉は聞くことになりました。その話が終わってから姉はぐったりと疲れていました。「あのような霊力のある人の話を聞くと疲れるわ」と言っていました。そして「今度はあんたの番やな」と言われた時に私は断りました。

すると姉が泣き出して私を卑怯者呼ばわりしてきました。私はハッとなり約束は守ることにしました。姉はカルト教団にのめりこんで、精神状態も異常だと思っていたのですが、どうやら素の姉で、感情も自然なものに感じられました。

そしてある日、姉から一冊の本を渡さました。その本は統一教会を批判するような本でしたが、自分の目に飛び込んできた文章は、“世間から言われている噂をうのみにするのではなくて自分でも真実を確かめてみるものだ“というような文言がなぜか目に入ってきて、そうしなければと思いました。

そして後日、親子の集いという統一教会のイベントに参加しました。

私がイメージしていた統一教会の人間というのは、感情もないロボットの様な人間だったのですが、いざ会ってみると性格も明るいし誠実そうだし、とても悪い人たちには見えなかったのです。

親子の集いのイベント参加後、統一教会に対しての印象がガラリと変わった私は姉の話しを面白がって聞くようになっていました。聖書の話も興味深かったです。

そうして私は統一教会に真理がありS教団はいかがわしいと思い遠のいて行くようになりました。 

その頃、統一教会では韓国の水沢里(スイタクリ)という地で開かれている女性の為の修練会がありました。姉はそこに病気の母親を連れて行ったら何か良くなるのじゃないかと思って連れて行こうとしていました。連れて行く為には、父親の許しを得なければなりません。姉はどこで知りあったのか、Tさんという婦人と一緒に来て、協力しあって母をなんとかその修練会に連れていこうと尽力していました。

私はその頃は教会員ではなかったけども、反対もせず応援するぐらいの立場になっていました。姉から聞く話もだいぶ進んでいて、そのころには文鮮明はメシアだという風には聞いていました。

母を水沢里修練会に連れていくことを父親はがんと反対していたけれど。最終的には父親も折れて韓国行きを許しました。

その背後には姉もT夫人も条件を立てていました。条件というのはお祈りや水業など願をかけての業です。私も母に奇跡が起こって治ってほしいと思っていたので、少し条件立てを協力しました。

そうして母を連れた姉とT婦人は無事に水沢里修練会に行って無事に帰ってきました。特に何か変わった感じはなかったけれど、霊的にはメシアと会ってすごい条件になったんだろうなぐらいに思っていました。

しばらくして、またTさんが家に来ました。Tさんは天地正教の信者でした。天地正教とは仏教系の統一教会のダミー団体です。私にも天地正教に通いましょうと誘ってきたのです。

 「いやー僕はいいですよー」と最初は断ったのですが、しつこく説得してきたので受け入れてしまいました。

ですがなぜかその時は受け入れた事をまんざら悪くもないなと思っていました。姉からも私が受け入れたことで「霊会の先祖は今頃お祭り騒ぎしているよ!」

みたいなことを言うので、「えーそんなにすごいことなの?」と期待を持ちました。こうして私は17才の時に天地正教という仏教的なダミー団体に入ることになったのでした。

1.はじめに

大物政治家の銃撃事件をきっかけにしてマスコミはカルト教団の社会問題をクローズアップします。そのムーブメントは教団の解散を迫る勢いです。

教団の信者の視点としては宗教迫害を受けている。地上の天国実現が延長されるので防がなければならない等と思っているでしょう。

この教団をこれ以上は許すことができない!

いよいよそういう時代に来ていることも感じます。

とにかくこの教団に対して私は間違いない団体だと確信をしておりました。教団の教祖は自信がメシアであると宣言しています。そのメシアと同時代に生き、メシアに仕える事がどれだけ徳積みになるか、先祖にも後孫にもどれだけ誇らしいだろうと思いながら信仰生活を続けていました。

ですがメシアとその家族が理想とはかけ離れた奇行をし続けます。

その度に信者が不信仰をしたためにメシアの子息にサタンが入って犠牲になっている(悪行してる)と、、、悔い改めを迫られていたのですが、ごまかすにしても限度があります。

サタンが入っているせいではありません。メシアの子息には罪も堕落性もないというのは嘘だと気づいたのです。

メシアの家族内で相続争いをしていたのか、ブラジルに子息達が次々と入国し、教会で説教をしていくのですが、その中身のしょぼさには悲しいぐらいに馬鹿らしく思ったことがあります。

私はこのメシアの家庭というのは末端の信者までもが実践しているような己との戦いが出来ない、ただの親の権威を嵩に着るやからにしか思えなくなりました。

私はただただ気づけないままに洗脳されていて、教団の為に働かされていただけなのです。結局のところ教団にいるということは悪行に加担するということなので決別することにしました。

私は脱会はしたのですが、しばらくは気持ちを安定させることは出来ませんでした。疑ってはサタンが入ると教わってきたので信じる事しか出来なかったのですが、その信じる事によって、私の家族を境地にさらすのであれば、私は家族にとって迷惑な存在でしかないとマイナス的な自己暗示をかけておりました。それは自分でも得策ではないとわかっていながらも自分の心のバランスを取る為には仕方がなかったのだと思います。

信者を辞め社会生活をすると言っても一般的な生活とはかけ離れた生活をしていたと自負があります。なかなか自分をさらけ出すこともできず、人とは距離を置いて過ごしていました。

脱会したはいいものの、社会に戻ると孤立するのであれば、このまま騙され続けていた方が幸せな人もいるだろなうと思います。

私も現実の自分と向き合っていかなければなりません。かなり自堕落になってしまったのは否定できませんが、、、でも良かったと思います。

いろんな自己中心的な思いが人間なら湧いてきます。それをサタンにそう思わされていると考えていたならば、休まることがないのですから、、、堕落したからこうなったのではありません。自我を持つ人間が地上で生きていく為であり、そして人生を感じていく為のデフォルトだと思っています。

教会はかなりダイナミックな思想を扱っているので割とインテリな人をも取り込む力はあると思います。神をも定義付けたり、科学で証明できるなどと謳えば説得力が増します。神がこの世界を創造した原理、人間が堕落してしまった論理、この世界を元の世界へと復帰していく原理、すべては原理原則に従っている真理であると思わせているのです。

そして教団にて、これは罪だと定めている基準はとても厳しいものがあります。相当な信仰心がないと守っていけないと思います。大衆化にはできないデメリットを感じているでしょう。

なので正体隠しの伝道方法にしているのかもしれませんが、正体隠しの伝道方法は違法性があります。 信者になった側からすると狭き門を生き残ってきたので選ばれた人間だと思ってしまいます。そして最後までつまずかず伝道された人は教団にとって従順なロボットとなります。

この教団の教育を受けたなら、この世界は現状サタンが支配していて、社会も法律も人間が作ったものなので社会のルールを破ってでも神の御心にかなうものならば善になると信じています。

神かサタンか善か悪かの二極的な思考しかできなくなる誘導がされていきます。

そして神は全能ではあるが人間が善行などの条件をたてない限り、サタンが讒訴するゆえ、何も働く事が出来ない惨めで可哀そうな存在だと教えているのです。

私は脱会後、弁護士などに被害を相談した時、「違法性として認められるのは正体隠しの勧誘はなかったか?ここぐらいです」と言われたときは悔しかったです。

私がしてきた献身的な生活も献金もすべては地上に天国を作る為にお金が必要だと教えられていたので、頑張っていたことが、「いや本人が進んでしたことなので」と判断が下されます。信教の自由があるからと、、、

私は教会が糸引く法外なビジネスなどは信者が勝手にしたと言える形が一切通じなくなることまでも願ってやみません。

私は教団にとってはお目当てではなかった信者かもしれません。国際結婚というダミーの為にブラジル人との祝福を受けたのかもしれません。そして祝福を壊さないように耐えてきました。私は教義を信じ、神にゆだねる姿勢で生きていこうと思っていました。踊らされていたのかもしれません。

そして教団内部での説教にも偽りの名目で献金集めをしていたら詐欺と認められてほしいです。

あれだけ世間で騒がれているのになぜこの教団の洗脳を解くのは難しいのだろう、などなど不思議なところもあると思います。なので私は青年部員でしたがこの教団で体験してきた一部を書いていきます。私が信者として体験してきたことが少しでもヒントになるなら嬉しい限りです。